富の集中が進み、超ビリオネア8人の所得が世界人口の半分を占める35億人の所得と同じ、
といわれる世紀。
残念ながら、癌(がん)を対象とする医薬品、医療開発は、富裕層目当ての抗がん新薬開発に
狂奔するベンチャーと巨大製薬会社ばかり。
癌(がん)など高度な、手間のかかる医療、医薬品は世界の資産家を数億人か、極端に言えば
超富裕層の数百万人をターゲットにすればパフォーマンスの良い結果が得られるからでしょう。
多くの先端治療研究者はこれらの高額バイオ医薬品が普及すれば世界経済が変わるほどの
インパクトがあると指摘しています。
日本では今回(2018年)ノーベル賞を授与された本庶佑博士、アリソン博士らの
モノクローナル抗体によるがん治療法が実用化で先行しています。
1992年から1999年に京都大学の本庶 佑博士(ほんじょ・たすく)らの
研究グル―プが*PD-1 (Programmed cell death 1)を発見したことにより、
関係者らは抗PD-1 モノクローナル抗体(Monoclonal antibodies:mAb) の開発に着手。
がん治療はモノクロナール抗体療法では困難といわれ続けた世評を打破する
新薬開発につなげました。
PD-1 など「免疫チェックポイント」タンパク質を制御するオプジーボなどは
免疫チェックポイント阻害剤(Immune checkpoint inhibitors )と呼ばれますが
新薬のモノクローナル抗体作りは、精度を高めれば高めるほど費用が跳ね上がるのが難点。
保険適用がなければ資産家向けのみ、保険適用ならば保健財政破綻のおそれ。
また保険適用といえども誰もが自己負担分をねん出できるほど低額でもありません。
日本で先行する小野薬品のオプジーボがこれからの量産効果でどこまで価格引き下げが
可能かが、日本の癌治療薬普及の鍵でしょう。
以下に本庶博士らの新薬開発と、その背景を解説いたしました。
*医学的には上皮細胞に発症する悪性腫瘍が「癌種:carcinoma」、
それ以外の部位の悪性腫瘍を「肉腫:sarcoma」
あらゆるところに発症するのが「がん:cancer」と分けていますが
本稿では全てのケースを誰にもわかりやすい一般的な「がん」
または「癌」と表しています。
1. 新薬開発のバイブルとなっている「The Hallmarks of Cancer」
2000年に発表された論文「癌の特徴的メカニズム:The Hallmarks of Cancer 」と
2010年の追加版「次世代癌の特徴メカニズム:Hallmarks of cancer: the next generation」は
空前といってよいほどの高い評価を受け、現在でも学生や癌研究者のバイブルといわれる
影響力を持っており、新治療法医薬品の多くは「癌の特徴的メカニズム」を開発の参考にして
ターゲットを決めているといわれます。
主筆はハーバード大学卒のダグラス・ハナハン博士(Douglas Hanahan)、共著は
*MITのアラン・ワインバーグ(Robert Allan Weinberg)博士。
ワインバーグ博士は1986年に癌抑制遺伝子であるRb 遺伝子(Rb gene:*retinoblastoma gene)を
単離した著名な学者。
「網膜芽細胞腫のRb遺伝子衰弱が癌(がん)を活性化」
細胞老化と癌(その6): 網膜芽細胞腫のRb遺伝子衰弱が癌(がん)を活性化2017/12/17
現在のダグラス・ハナハン博士は、先にご紹介した*コッペノール教授(Willem H. Koppenol )と同様に
スイス連邦工科大学(The Swiss Federal Institutes of Technology)ローザンヌ校において研究と
後進の指導に当たっています。
*MIT:マサチュセッツ工科大学(Massachusetts Institutes of Technology)
2. 免疫チェックポイント阻害剤の開発競争
新たな、がん免疫療法において研究対象の筆頭となっているのは
癌化DNA(遺伝子)が白血球などの免疫抗体を免れる動作(evading the immune system)の阻止。
ダグラス・ハナハン博士らが発表した「癌の特徴的メカニズム:The Hallmarks of Cancer 」に
挙げられた特色(特徴)の一つです。
免疫チェックポイント阻害剤開発会社の解説によれば「がん化細胞により不応答となっていた
抗原特異的T細胞(胸腺免疫細胞)を回復・活性化させ、免疫反応を亢進することにより抗腫瘍効果を示す」
「*PD-1は生体において活性化したリンパ球を抑制するシステム(負のシグナル)に関与。
がん化細胞は、このリンパ球抑制システムを利用して(免疫反応から逃れている)という
ダグラス・ハナハン博士らの仮説からスタートし研究開発しました」
CTLA-4、*PD-1が、cDNAライブラリーから遺伝子クローニングされた成果
*1987年にテキサス大学のジェームズ・P・アリソン博士(James Patrick Allison)による
CTLA-4(cytotoxic T-lymphocyte-associated antigen 4)の発見.
*1992年には京都大学本庶佑博士によるPD-1(programmed death 1)の発見がありました。
アリソン博士のCTLA-4(Cytotoxic T-Lymphocyte Antigen-4)や
本庶佑博士のPD-1(Programmed Cell Death-1)、
LAG-3(Lymphocyte Activation Gene-3)、B7-H3などは生物学的応答調整物質と呼ばれ、
発現した癌細胞などを標的として活性化した T 細胞(胸腺免疫細胞)の表面に発現する
受容体(レセプター:鍵穴の役割)。
免疫力の過剰活性を抑制するメカニズムといわれますが、癌の場合は免疫抑制が効かずに癌が
増殖する原因となります。
癌化細胞など抗原提示細胞の表面上に発現し、免疫細胞を機能させない(ガンを進行させる)
受容体結合物質(リガンド)のPD-L1、PD-L2などと、上記PD-1受容体が結合すると、
免疫力が低下(劣化)し癌化細胞が限りなき増殖を始めます。
*PD-LのLは受容体結合物質(ligand:リガンド:鍵の役割):癌細胞に特異的に現れます。
本庶博士が発見した受容体(レセプター)のPD-1(Programmed Cell Death-1)と結合すると
癌細胞の増殖が始まりますので、この結合を阻止する「抗PD-1モノクローナル抗体」を作り、
送り込むことが考えられました。
これらは「免疫チェックポイント」タンパク質とよばれていますが、リガンド(鍵:PD-L1)と
レセプター(鍵穴:PD-1)の結合点が「免疫チェックポイント」。
そのチェックポイントを遮断(阻害)すれば免疫細胞の能力を維持でき、癌化細胞の活性化を
抑制できるとのコンセプトで、抗PD-1モノクローナル抗体療法のオプジーボなど
免疫チェックポイント阻害剤(Immune checkpoint inhibitors )が開発されました。
3. 認可された免疫チェックポイント阻害剤は超高額
モノクローナル抗体(Monoclonal antibodies)は様々な切り口で開発が進行しており、
すでに数百種類が検討されたといわれます。
いずれも高額治療薬となり、2000年代初期には実用で先行した医薬品企業の売り上げが
100億ドル(1兆円超)を超えました。
最新の免疫チェックポイント阻害剤開発中の製薬会社は幾つもありますが、
これらは、さらなる高額医薬品。まさに富裕層オンリー、弱者切り捨て開発。
2017年末現在で、すでに発売された新薬には
抗CTLA-4抗体がブリストル・マイヤーズのイピリムマブ(Ipilimumab:ブランド名ヤーボイ:Yervoy)、
抗PD-1抗体が*メダレックス(Medarex)のニボルマブ(nivolmab:ブランド名オプジ―ボ:Opdivo)と
メルク(MSD)のペムブロリズマブ(Pembrolizumab:ブランド名キイトルーダ:Keytruda)
ファイザーとメルクが共同開発した 完全ヒト型抗 PD-L1 抗体アベルマブ(Avelumab:ブランド名バベンチオ:Bavencio)があります。
2017年9月27日に承認されたアベルマブは前治療歴がある進行性胃がん、腎臓がん治療に期待されています。
*mab(マブ)はMonoclonal antibodies、人造(クローニング)の抗体です。
*メダレックス(Medarex)は2009年にBristol-Myers Squibb (BMS)が買収。
オプジ―ボは小野薬品が販売。
4. 癌の特徴的メカニズム(The Hallmarks of Cancer)
論文「癌の特徴的メカニズム」は癌の征服を目指す研究者に多くの指針を与えるガイドブックと
なりましたが、著者らには高額な免疫チェックポイント阻害剤開発に集中して
しのぎを削るトレンド(富裕層目当ての癌新薬開発に狂奔するベンチャーと巨大製薬会社)は
想定外、思惑外、心外だったでしょう。
博士らは疫学的、動物実験などで得られた癌のメカニズム情報を分子細胞学的に解明する
多くの研究者の参入を期待し、誰もが受益者となれる創薬、治療法につながる発見が
続出することを望んでいたはず。
それでも研究者が足りないくらい、難解で変幻自在な癌化細胞の懐(ふところ)は奥深いのです。
ノーベル賞受賞者の大隅良典博士が嘆いていたのは基礎医学を志す研究者の不足。
基礎医学に注力した本庶佑博士のオプジーボは結果的に高額医薬品となっていますが、
利が大きいから、手早く儲かるから、とばかり当初から免疫チェックポイント阻害剤開発に
励む研究者が後を絶たないのは嘆かわしい風潮です。
ただし昨今は世界には癌予防につながる重要な発見も次々に出ています。
予防と早期発見こそ最も安上がりな対策。国民の心構えが重要です。
ドイツのノーベル医学生理学賞受賞者オットー・ワールブルク(Otto Heinrich Warburg)が
1920年代に発表した「がん化細胞の代謝、呼吸、光合成の定量調査」はワールブルグ効果といわれ
古くて新しい発見として現在もガンの研究に大いに役立っています。
「癌の特徴的メカニズム」の著者らも、この論文がワールブルク論文同様に人材育成を
目的としたテキストになることを期待しています。
5. 生命科学の難関突破賞(The Breakthrough Prize in Life Sciences)
富裕層目当ての抗がん新薬開発競争が激しくなれば、それに疑義を抱く正義感あふれる人々が
多数存在するのも米国。
世界中の人々が受益者となれる抗がん新薬、治療法の確立を促進、奨励することに
米国のビリオネア(10億万ドル長者)が立ちあがっています。
先週は米国西海岸のシリコーンバレーで活躍する10億万ドル長者(ビリオネア)の
「永遠の生命」の夢をご紹介しましたが、「生命科学の難関突破賞」は、そのビリオネアたちが
2013年にスタートさせたプロジェクト。
難病や癌(がん)の征服には様々な切り口がありますが、難関突破賞は誰でもが受益できる
治療法を研究し、未来への突破口を開く生命科学の学者、研究者たちを褒め称え、
さらなる発展の援助を目的としています。
発起人はフェイスブックのマーク・エリオット・ザッカーバーグ(Mark Zuckerberg)、
グーグルのセルゲイ・ブリン(Sergey Brin)、
アマゾンのジェフリー・プレストン・ベゾス(Jeffrey Preston Bezos)ら。
会長はアップル、*カリコのCEOを務めるアーサー・レヴィンソン(Arthur Levinson)。
派手なPRが無い控えめな賞ですが、賞金は世界一といえる300万ドル(約3億円から3億3千万円)を
1年に6人。
初年度受賞者は組織作りのために12名でした。
広く公平に浸透させるために、出来得る限り受賞者達が、選考者となって次年度の候補を
選べるようにとのこと。
未来につながる研究に資金提供し、より良い社会作りに貢献したいという思い、
未開、未知の世界に切り込む研究者達を一人でも増やしたいという思いが伝わってきます。
支援というか報奨というか、スタート以来5年で山中伸弥博士を含めて、すでに30人を超える研究者に
授与された総計が100億円を超えています。
*カリコ(Calico):グーグル・オーナーが設立した「永遠の生命」を目的とした長寿研究所
6. 寄付の約束(The Giving Pledge)
「生命科学の難関突破賞」はフェイスブックやアマゾンの創業者らの収入が8人で世界人口の
半分を占める35億人の所得と同じ、との非難から目をそらさせるためとの指摘があります。
人種差別の増加と先進国民の既存政治への幻滅と絶望の拡大は憂慮すべき事態であり、
革新的な税制改革が必要ではありますが、彼らの飛躍は産業革命の果実。
2010年にこの8人の内の2人であるマイクロソフトのビル・ゲイツと投資家のウォーレン・バフェットは
*ギビング・プレッジ(The Giving Pledge:寄付の約束)という約束事を発表し同志を募りました。
それに初期から参加したのがフェイスブックのマーク・ザッカーバーグ。
資産家の家庭で育ち、ハーバード大学などアイビーリーグや西海岸のカリフォルニア大学、
スタンフォード大学でコンピューターや医学を専攻した秀才たちは富の独占には関心が薄いでしょう。
金銭欲、名誉欲、権力欲のような世俗的な言葉とは遠い距離があります。
*ギビング・プレッジ:自らの資産は一族に遺すのではなく、大半を*ビル&メリンダ・ゲイツ基金の
ようなファンドに寄付することの公約。
*ビル&メリンダ・ゲイツ基金(Bill & Melinda Gates Foundation:B&MGF)
保健、介護、貧困救済、学問支援などを目的とする私立財団。
世界最大の8兆円を超えるファンドを持つといわれます。
癌(がん)、難病、感染症撲滅には、昨今の抗がん剤開発のトレンドとは真逆の思想を持っています。
現在の米国には多様な民族が移住して宗教、思想も様々ですが、少なくとも民主党支持勢力には
建国時代のピューリタンのキリスト教思想が脈々と受け継がれ、「清貧と愛」を中軸とする思想が
事業成功者の寄付行為に現れています。
7. 遺伝子解析完了後の分子細胞医学の進歩は驚くばかり
1970年:癌化遺伝子(oncogene)は変異遺伝子として鶏から発見されました。
発見された当初はSRC癌遺伝子(*SRC- oncogene)と呼ばれていました。
*SRC(Steroid receptor co-activating factor)
1976年:この癌化遺伝子が遺伝等により正常細胞にも存在することが解明されています。
1978年:人間の癌化遺伝子発見の糸口となったSRC 蛋白(SRC protein)が
プロテイン・キナーゼ酵素(protein kinase family of enzymes)の一つだと解明されました。
1979年:この解明がヒントとなり、最初のリボ核酸腫瘍ウィルス(RNA tumor virus: *HTLV-1)が
発見されました。
リボ核酸腫瘍ウィルスは成人の白血病胸腺細胞(T細胞)から検出されたものです。
*HTLV-1はヒトT(胸腺)細胞白血病ウイルス(Human T-cell Leukemia Virus)
1981年:肝臓がんの患者の肝臓からB型肝炎ウィルス(Hepatitis B virus)が発見されました。
その後ウィルスが癌遺伝子変異の起因となることの解明が進みます。
1986年:Rb 遺伝子(Rb gene:*retinoblastoma gene)が単離されました。
Rb 遺伝子の発見が、それからの癌遺伝子とP-53遺伝子(続編で解説)など重要な
腫瘍抑制遺伝子機能の解明に繋がっていきます。
8. CART- Tは最新の遺伝子組み換え治療医薬品
2017年8月31日 … 米食品医薬品局(FDA)はノバルティス(スイス)の遺伝子組み換え治療医薬品
(genetically modified cell therapy)の「キムリア:Kymriah」を小児・若年成人の急性リンパ性白血病(ALL:acute lymphoblastic leukaemia)患者向けに承認しました。
これまでの免疫療法(immunotherapy)であるACT(adoptive cell transfer) の延長線上にある
医薬品といわれていますが 、これは*キメラ 抗原受容体T(胸腺)細胞療法と呼ばれています。
CART- T(Chimeric antigen receptors)療法として知られる新種(?)の治療薬が承認されたのは 初めて。
*キメラ 抗原受容体T(胸腺)細胞療法(CART- T:Chimeric antigen receptors therapy)
胸腺免疫細胞(T細胞)を含む白血球を患者から取り出し血液は体内に返す。
胸腺免疫細胞(T細胞)を実験室で(CART)に修正し、百万個以上を作成した後、
それを体内(血管内)に返す療法。
キメラ(Chimera)の語源はギリシャ神話の多頭動物キマイラ(chimaera)。
多頭のライオン、ヤギ、龍などの絵をご覧になったことがあると思います。
同一人から異なる血液型が発見されたことが細胞学での命名の始まり。
キメラ療法では異なるタイプの構造を持つ免疫タンパク質を一つの抗体(抗原受容体)に作ります。
この治療も約5,000万円が必要といわれます。
9. (参考)「ミクロの世界」を覗く機器
超解像蛍光顕微鏡の開発やクライオ低温電子顕微鏡利用技術によって細胞周期や細胞内の変化などが
可視できるようになり、困難だったタンパク質の質量分析もサンプルのイオン化法を
発見、発明した島津製作所のノーベル賞受賞者 田中 耕一さんの手法が発展、進化を続けており、
*「マトリックス支援レーザー脱離イオン化法」が
世界中で使用されて新たな「ミクロの世界」が覗けるようになっています。
*Cryogenic-electron microscopy(cryo-EM)
*Matrix Assisted Laser Desorption / Ionization( MALDI)
初版: 2018/02/24
改訂版:2018/10/03
マスメディアで話題の長寿と癌(がん)の最先端研究