長寿社会の勝ち組となるには(その18):
ヨーロッパ近代史上最大といわれた有毒油症症候群
(Toxic Oil Syndrome:TOS)
サプリメントの有効成分は特定成分のみを抽出したり、合成するのではなく、
出来るだけ当該食材と同様の自然な成分構成を持つことが必要です。
自然でない化学合成物質が、天然素材に含有する物質と化学反応を起こし、毒性を持つことが示唆される事件は珍しくありません。
摂食量により、有効性と毒性が表裏一体のケースも少なくありません。
食材の有用成分は単一よりも複合で効力を発揮することが多いだけでなく、
他成分がその毒性を中和します。
英国では清涼飲料水に添加された安息香酸(保存料)と
アスコルビン酸(合成ビタミンC:酸味料、酸化防止剤)が
化学反応で骨髄性白血病の原因となるベンゼンをボトル内で
生成し、大騒ぎとなったことがあります。
「豊洲新市場のベンゼン汚染:連想させた老化促進AGEと異性化糖」
1.アミノ酸の合成には未知な危険因子が多様に存在する
長寿社会の勝ち組となるには(その17)で米谷民雄(まいたに たみお)博士の
回顧記録(2009年:食品衛生学雑誌)の一部をご紹介しましたが、その主題は
「L-トリプトファン製品による好酸球増多筋痛症候群(EMS)および
変性なたね油による有毒油症症候群(TOS)」。
米国で死者が38名発生した昭和電工製のトリプトファンによる
EMS( Eosinophilia–myalgia syndrome)発症事件と、
スペインで1,000名を超える死者が
発生した有毒油症症候群(TOS)」はEMSにも示された肺炎症状が近似しており、
主たる原因が製造過程において発生する同類の副産物(不純物)に毒性があった
ためではないか、との博士の検証記録です。
博士はトリプトファン合成過程で、遺伝子組み換え、発酵などを駆使した
バイオ技術で生成される副産物(不純物)と有毒油症症候群(TOS)の
疑わしき原因物質を比較しながら回顧録をまとめていますが、
同時にアミノ酸合成には未知な危険因子が多いことを指摘しています。
厚生労働省でこれらの研究に中心的な役割を果たした博士の調査、研究が
日本でメラトニンを含む合成トリプトファン系のサプリメントが販売されず
遺伝子組み換え食品がEUと共に認可されない根拠となっているのでしょう。
2.有毒油症症候群(Toxic Oil Syndrome:TOS)
1981年5月にスペインのマドリッド周辺や北西部セビリアで起きた食中毒は1981年から
約15年間で発症した患者が20,084名。
死亡例が1,799名といわれる近世ヨーロッパ最大級の食中毒事件でした。
原因食材は基本的にアニリン変性ナタネ油による有毒油症症候群と、疫学的には特定されましたが、
例外も多様にあったためにその後に論争が続きました。
食中毒事件は幼児から中高年まで、各地の幅広い患者からの聞き取り調査が主体となりますから、
正確さを欠くことが多く、実態把握が困難です。
3.アニリン変性ナタネ油とは
スペインはオリーブオイル生産がワインと並び重要農産物。
ヨーロッパ他国より安価な食用菜種油(Colza oil)が輸入されると国内市場が圧迫されます。
歴史的に菜種油は日本同様に灯油から始まっており、80年代においてもスペインには
工業用として輸入されていました。
Colza oilは我々が食用菜種油に使用するRapeseed oil(Brassica napus)と
同義ですが、スペインではColza oilを、からし菜(マスタードに使用する)または
工業用と理解する人が多いようです。
80年代前後のスペインはEU未加盟でしたから輸入菜種油(Colza oil)は
マスタード用を除けば工業用のみに制限。
工業用が食用として転用されないように異臭のするアニリン(Aniline: C6H5NH2)を
混入させていました。
アニリンはアミノグループでポリウレタンの前駆体としてよく知られた化合物。
ジーンズなどの染色に使用するインディゴ(アニル由来:anil)などの化学合成染料として
19世紀中ごろよりの永い歴史を持ちます。
事件は菜種油に混入させたアニリンを化学処理で除去し、食用に戻した非合法変性品が
ストリート市場(mercadillos)に出回ったことで起こったといわれています。
精製のための化学処理は様々だったようですが不良な油が多かったようです。
精製は脱臭工程で250~3,000℃の加熱をしたようですが、米谷博士によれば
さまざまなフェニルアミノ(PAPエステル)がこのときに劇的に生成されたといわれます。
PAP (3 -phenylamino-1 ,2-propanediol)はトリプトファン事故品中に検出された不純物の
PAA (phenylamino-aniline)と化学的によく似ており、双方に
アミノフェノール(4-aminophenol)に代謝される経路が見出されているようです。
博士はこれをEMSとTOSの疾患に共通した中毒症状の起因物質と推定しています。
4.有毒油症症候群(TOS)原因物質の同定を困難にしたトマトの食中毒事件
WHOはスペインで発生した食中毒は、基本的に変性なたね油が原因として有毒油症症候群と
ネーミングしましたが、発症者とみなされたストリート市場(mercadillos)の消費者は
必ずしもアニリン変性菜種油を買っておらず、共通の購入食材はトマトでした。
オリーブオイルと称して売られることも多かった安価な変性食用油は、
所得の高い層に敬遠されていたのでしょう。
この時に疑われたのが農薬による有機リン酸中毒(organo-phosphorous poisoning)。
中毒症状は有毒油症症候群(TOS)と同様に肺炎様でした。
市場(mercadillos)のトマトはスペイン南東部アンダルシア州の
観光地アルメリア(Almeria)が主産地。アルメリアの畑はかっては砂漠地帯。
70年代に地下水が発見されて野菜や果実の栽培が始まりましたが、観光地特有の
貪欲な農園経営者はビニールシートやハウスによる促成栽培で年間3-4回の収穫を目論み、
膨大な量の殺虫剤、成長ホルモン様物質を含む栄養剤、化成肥料を使用していたようです。
まじめな農園経営者も、同地区で競争をしなければならないために化学物質の
指定量を守ることが出来なくなっていたそうです。
トマトが疑われる殺虫剤中毒(organo-phosphorous poisoning)の発症者数
が多かったために有毒油症症候群の原因物質同定議論はいまだに完結していませんが、
いずれにせよ食品加工時の化学反応による有害物質産生の危険性を警告する事件でした。
5.気候、土壌を無視した立地の農園経営が招く健康被害
品種改良、遺伝子組み換え、遺伝子編集や工業化、工場化により理論的には地球上のどこもで
農水畜産が可能になりましたが、栄養素欠如ばかりでなく健康被害の可能性も大きくなっています。
内陸での魚介などの水産物生産、寒冷地での熱帯フルーツ、野菜の生産。
遺伝子編集で促成する巨大魚、巨大フルーツなどは極端な例ですが、果たして正解なのか、
熟考すべきでしょう。
(参考)キラル (chiral)と(ラセミ状態:racemic mixture)
化学合成素材は化学式が同一でも天然とは異なります。
キラル (chiral)と呼ばれる異性体(鏡面体)の存在です。
酵素(タンパク質)に例をとれば、合成アミノ酸の異性体(鏡面体)と呼ばれる
左右のD体(dextro-rotatory)とL体(levo-rotatory) が似たような薬理作用、毒性を示す場合や、
一方だけが毒性を持つ場合があります。
また両体の作用、反作用が拮抗することで
効能が相殺されることもあります(ラセミ状態:racemic mixture)。
1960年代前後に腹痛、下痢止めの生薬となる天然素材成分を合成したところ
毒性がある異性体が合成されており、被害者が続出しました。
副作用データを隠ぺいした田辺製薬の不誠実が話題となった
整腸剤キノホルムによるスモン病(subacute myelo-optico-neuropathy:SMON)です。
今では合成医薬品開発には異性体のチェックが必ず実施されます。