第七十二話:「早苗月=皐月=五月、端午の節句=こどもの日」
端午の節句には蘊蓄が多く、なぜ五月五日なのか、鎧・兜や五月人形を飾り、粽や柏餅を食べ、菖蒲湯に入るのは何故か、どうして鯉を空に泳がせるのか、等々、江戸時代に始まった風習の不思議について述べてみます。雨がちに端午ちかづく父子かな 石田波郷端午の「端」は初めの意で、「午」は“うま”の日ですが、午は「ご」とも読めるので、五月の最初の五の日を(五が重なり目出度い)祝祭日と決めたのは江戸幕府だったようです。元々「初午」は2月最初の午の日のことで、平安貴族が節句の祝いをした風習だったのが、後に武士階級に広まり、戦う勇敢な男子を想起させる鎧兜を飾り、幟を立て、「尚武」に通じる菖蒲の薬効で邪気を払うようになったそうです。江戸時代へ入り、大した戦いもなくなり平和社会が訪れると、この節供は町民階層へと浸透し、田植えを前にした農民の健康祈願、男児の成長・壮健を願う行事へと転じ、娯楽化・イベント化・商業化して行ったようです。こうした中、古くからは、悪魔を払う霊力があると言われた粽(元々、茅の葉で包んだので“ち巻”と呼ばれた)を食べる風習があり、江戸時代以降には、柏の葉は新芽が出るまで古い葉が落ちないことから、...