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ケン幸田の世事・雑学閑談(千思万考)

ケン幸田の世事・雑学閑談(千思万考)

第八十二話(続): 「中国のパンダ外交と内政の混乱、世界に拡散する汚染農産物」

日本人のパンダ好きが益々高じており、昨年6月に上野動物園で誕生したシャンシャンの一般公開が先週から始まったことで、マスコミ報道も熱を帯び、見物の抽選に24万組もの応募があったそうです。中国のパンダ外交は、元来朝貢の為に始まり、1940年代の日華事変の際は米国ルーズベルト大統領へ、50年代冷戦期間はソ連のフルシチョフ書記長へ、そして70年代の日中友好の証(あかし)として(日本の経済支援を求めて)、当時の周恩来首相から田中首相へと、いずれも無償で贈与されたものでした。ところが80年代へ入ると、ワシントン条約で絶滅危惧種認定を得ると、中国政府は希少性を煽(あお)ることでパンダを平和の使者としてではなく、有償の貸与物件へと転じ、共産党の懐を肥やすだけでなく、自国のソフトパワーを高め自らの立場を認めさせるための戦術的な武器として駆使するように成りました。その貸与条件は法外な内容で、10年を限度に毎年1.1億円/頭、もし死亡させた場合賠償金4千万円、人工授精や受胎、出産、医療諸技術供与は全て日本側の持ち出しで、日本で無事子供が生まれ育てても所有権は中国にあり2年以内に中国へ返却するのが条件(貸与の...
ケン幸田の世事・雑学閑談(千思万考)

第八十一話:「常識・良識が崩れ始めた。世の乱か変か」

史学者によると、体制変革や文明革新が起きる要因が二分され、ハードパワー即ち腕力(軍事力)が引き起こしたものを「乱」と言い、ソフトパワー(経済力、文化力)等の智力によってなされたのが「変」と言って、学識用語上、歴史的事象の区別があるそうです。尤(もっと)も、昨今はジャーナリストや社会評論家などが、「乱と変」を混同して誤用するケースが多くなっているようです。いずれにせよ、願わくは、北朝鮮や中近東を巡る諍(いさか)いが大乱に至ることなく、小乱で収まっていて呉れることを望む他ありません。一方で、政治外交面、生活文化面等において、これまで常識や良識とされて来た概念が次第に覆(くつがえ)され、非常識とまでは行かないが“不常識”とでもいうべきか、旧態依然の良識に代わる「新しい考え方」「発想の転換」が今後の世の中を変えつつあることを実感するようになって来ました。物事や思考には、核心・根本と些末(さまつ)・端末の違いがあり、これを取り違えると「本末(ほんまつ)転倒(てんとう)」の大きな錯誤(さくご)に至るので、理念主義と現実主義、内と外、上下左右、縦横斜めなどの区別と選別には、十分な配慮を忘れないよう心...
ケン幸田の世事・雑学閑談(千思万考)

第八十〇話:「大江戸歳末風景・餅つきのパフォーマンス」

餅つきは、現代では町内のイベントの一つに過ぎませんが、江戸時代には正月の準備に追われる人々には欠かせない暮らしの一大行事で、極めて当たり前の光景でした。人手の多い大通りで、大きな釜や蒸籠(せいろ)まで路上において、餅をつくのは、それがビジネスだったからです。「餅つき屋」なる職人が“営業していること”を知らしめるため、往来に数多くの“仕事師”が出現する必要性があったという訳です。主として、表通りに面している商家が、店先で景気づけに餅をつくという意味合いもあり、パフォーマンス的要素の強い餅つきを「引きづり餅」と呼び、商家は餅米だけを用意し、道具類一式は「餅つき屋」が持参したのです。「餅つき屋」といっても、実際上、限られた期間の仕事であり、成立した職業というよりは、餅屋や米屋の従業員が出張して請け負った仕事をこなしたようで、他にも商家に出入りする鳶職人、左官、大工などもバイト仕事を引き受けたようです。 一般に餅を買い求めるには、15日までに餅屋(あるいは餅菓子屋)に前もって注文して出前してもらうか、大口の場合は自宅まで、餅つきに出向いてもらうケースもあり、これは「賃餅」と呼ばれました。尤も、...
ケン幸田の世事・雑学閑談(千思万考)

第七十九話: 「続々・世の中訳の解らぬことばかり。疑問と不思議」 (その2)

今年は大政奉還150年、来年の明治維新150年にかけて、このところ明治の王政復古(7百年も続いた武家政権の終焉)を見直す風潮が強くなっております。天皇退位も近づき、大正・昭和・平成の御代をも併せて近・現代史を回顧し、我が国の未来を見据えた史家や思想啓蒙家の論評が喧(かまびす)しさを増して来ました。その中で多数派と目される議論は、従来ややもすると評価が低かったり疑問符が付けられていた偉人が見直される一方で、比較的持て囃されていた偉人の側が著しく評価を下げているという注目点です。例えば明治天皇、西郷隆盛、大久保利通、山縣有朋、乃木希典等はプラス評価へ転じ、逆に勝海舟、坂本龍馬、榎本武揚、大隈重信、等は総じてマイナス評価となっています。ここで、興味深いのは、今昔を問わず、高評価を落とさなかった福沢諭吉の場合で、これまでは、教育啓蒙家、自由民権論者(学問のススメ、通俗民権論他の著)として評価されて来ましたが、同時に「立国は私なり」「官民調和」を唱えた国権論者でもあり(文明論の概略、通俗国権論、痩(やせ)我慢の説他の著)現下の再評価は、むしろ後者の”国権論者“にあったと思われます。つまり、軟弱な...
ケン幸田の世事・雑学閑談(千思万考)

第七十八話: 「続々・世の中訳の解らぬことばかり。疑問と不思議」 (その1)

「チバニアン(千葉時代を意味する学術用語)」が国際地質科学連合会からのお墨付きを得たことで、目下「地球史に”日本国土に因(ちな)む新たな時代区分“が書き加えられる」と共に「地磁気逆転現象」が世界的な話題となって居ります。我が国では、長年の間大学受験科目に「地学」が含まれなかったことから中高教育も等閑(なおざり)視(し)されて来たこともあって、多くの世代の深い関心を呼ぶには至っておりませんが、”地磁気“に絡む事象だけに、IT万能視時代の近未来の罠(わな)に絡(から)めて考えてみても、もっと地球科学への教養を深めてもらいたい問題ではないでしょうか。そもそも、現下は正磁気(N極が北、S極が南向き)なのに対し、我が国の一部地層の玄武岩に残留磁気がNS逆転現象を発見(1929年松山京都帝大教授)し、その後千葉県養老渓谷の地層から証明されたもので、その時代は恐竜絶滅後の哺乳類繁栄時代の内、77万年前から12万6千万年前の「第4紀中期更新世」つまりネアンデルタール人や旧人の生きていた時代のことです。地磁気の入れ替わり(ポールシフト)は、数万年から数十万年ごとに発生してきたことは証明されており、都度地...
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第七十六話:「聴蟲・・月を愛で虫を聴く、まさに風流の極致」

夜の風が秋めいてくる頃、澄んだ虫の音を耳にするようになると、しみじみと秋の到来を感じさせます。現代人が「趣味は虫聴きです」と言えば一般的には、かなり意表を突くが、教養人からは、風流人として一目置かれるのでしょうが、平安時代の貴族の高尚な趣味に始まり、武家社会のすさめ事ともなり、江戸時代長く平和が続くと一般庶民の娯楽として広く流行したことから、我が国古来の伝統文化・風流の極致であったと言えるでしょう。 虫聴きの遊びには、野外に出て虫を捕えて来て、鳴き声の良いものを選び、音を競い合わせる屋内での遊びと、郊外の眺めの良い丘や土手へ出掛けて、酒を酌み交わしながら夕暮れを待ち,昇ったばかりの名月を愛でながら、BGMとして虫の音を楽しむ場合と二つの大きな流れがあり、「虫狩り、虫選び、虫かご、虫合わせ(鳴きを、競い合わせる)、虫すだく(虫が多く集まって来る)、虫時雨(一斉に鳴く)、闇の虫、昼の虫」から「聴蟲」まで、数多の季語がそれらを言い伝えております。 ここで、虫と言えばキリギリス、クツワムシ、ウマオイなどキリギリス科とコオロギ、スズムシ、マツムシ、カンタン、カネタタキなどコオロギ科とあり、虫合わ...
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第七十五話:「江戸の風物詩・七夕、井戸浚い、冷水売り」

七夕祭りの由来については、古くから我が国に伝わる棚織津女(たなばたつめ)の話と、中国に伝わる牽牛(けんぎゅう)星と織女星の伝説に基づいたものと言われて来ましたが、そもそもの源流は古代エジプトにまで遡り、定住農耕が生み出した神話に行き着くのだそうです。何しろ、イタリアでは7月7日に男女が石を投げ合って求婚する行事があり、中国では女の子の技芸上達の願い事をしたことが、奈良時代、宮廷へ伝わって機織り(はたおり)姫の行事となり、江戸時代の大奥では、笹の葉に短冊をぶら下げ、願い事をするという形式が現在にも一般的な祭り方となったようです。うれしさや七夕竹の中を行く  正岡子規七夕の女竹を伐るや裏の藪  夏目漱石水道の有る先進都市だった江戸には、7月7日、井戸浚い(さらい)(井戸替え、晒(さらし)井(い))と言うもう一つ重要な行事がありました。神田上水(主水源は井ノ頭池)は1629年ごろ完成し江戸市中へ給水をしていたが街の急発展・人口増で飲料水は不足し、さらに1654年玉川上水(水源は多摩川)を造成させました。水道と雖も、地下に張り巡らされた管は、木や竹をつなげたもので、ところどころ水を溜める大きな...
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第七十四話: 「マスメディアが報じない裏話」

インターネットの普及に連れ、世界の隅々に至るまで、真偽取り混ぜ数多の情報が瞬時に飛び交う時勢となりました。情報の発信元からすれば、恣意的(しいてき)に自説による大衆の洗脳が難しくなり、一方情報の受け取り側は、一体何を信じればよいのか、判断に迷うケースも増えてきたとも言えそうです。少なくともこのところ、略(ほぼ)明白になってきたことは、社会の木鐸(ぼくたく)とされ言論世界をリードしてきたマスメディア(大手新聞やテレビ)の偏向報道ぶりが多くの批判にさらされ、発行部数を大幅に落とし、視聴率を急減させている事実が証明している通りです。尤も(もっと)、我が国の一部先覚者や異端の評論家などは、数十年も前から「白い(中道公正な)新聞なんて望めない。赤や黒、灰色新聞が蔓延(はびこ)っている」とか「テレビは、一億総白痴化を生む」とかの鋭い警戒警報が発せられてきましたが、多くの大衆には届かなかったようです。 昔、米国に在職在住時、耳にしたのは「マスコミ=マスコミュニスト」という事で、「元来、米国のメデイア各社は、欧露移民のユダヤ系共産主義者たちが創業し、国民世論の洗脳を主目的とした」のだそうですから、その...
ケン幸田の世事・雑学閑談(千思万考)

第七十三話:「時局あれこれ雑感」

イタリア特別自治州の一つであるシシリー島のタオルミーナは、古代ギリシャ、カルタゴとローマ帝国の支配下にあった紀元前からの歴史を留める神殿や遺跡の多い小古都で、風光明媚な欧州屈指の観光リゾート地です。一度訪れたことがありますが、崖の上のギリシャ劇場と紺碧のイオニア海のコントラストは絶景そのもので、元々欧州上流階級の避寒地だったのが今では四季を通じたリゾート保養地となっており、多彩な南イタリア料理と特産のマーマレードに舌鼓を打ったグルメの町でもあり「地上の楽園」とも呼ばれています。目下欧州各都市やリゾート地は、テロルの恐怖に怯える(おびえる)中、この地の治安は極めてよく、それがG7サミット開催地に選ばれた最大の自由だったと思います。治安の恐れから海外旅行を控えている方々や、イタリア好きで、さらにローマ以北とは異国観の強い南イタリアを極めたい旅のマニアには、是非お勧めしたい観光地の一つです。 今般のG7は、トランプ大統領、メイ首相、マクロン大統領にとって初のサミット参加でしたが、当初危惧された足並みの乱れは辛うじて(かろうじて)避けられ、枠組みの価値は維持されたようで、環境問題(パリ協定)の...
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第七十二話:「早苗月=皐月=五月、端午の節句=こどもの日」

端午の節句には蘊蓄が多く、なぜ五月五日なのか、鎧・兜や五月人形を飾り、粽や柏餅を食べ、菖蒲湯に入るのは何故か、どうして鯉を空に泳がせるのか、等々、江戸時代に始まった風習の不思議について述べてみます。雨がちに端午ちかづく父子かな 石田波郷端午の「端」は初めの意で、「午」は“うま”の日ですが、午は「ご」とも読めるので、五月の最初の五の日を(五が重なり目出度い)祝祭日と決めたのは江戸幕府だったようです。元々「初午」は2月最初の午の日のことで、平安貴族が節句の祝いをした風習だったのが、後に武士階級に広まり、戦う勇敢な男子を想起させる鎧兜を飾り、幟を立て、「尚武」に通じる菖蒲の薬効で邪気を払うようになったそうです。江戸時代へ入り、大した戦いもなくなり平和社会が訪れると、この節供は町民階層へと浸透し、田植えを前にした農民の健康祈願、男児の成長・壮健を願う行事へと転じ、娯楽化・イベント化・商業化して行ったようです。こうした中、古くからは、悪魔を払う霊力があると言われた粽(元々、茅の葉で包んだので“ち巻”と呼ばれた)を食べる風習があり、江戸時代以降には、柏の葉は新芽が出るまで古い葉が落ちないことから、...
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第七十〇話:「世界秩序変動余波とトランプ旋風・再論」

アラブの春が軟着陸できず、中東の政治・宗教紛争の拡散が止まるところを得ず、その火の粉が難民の大量流出とテロリストの潜入を生み、ユーロ不況真(ま)っ只中の欧州諸国に暗雲を投げかけ、今や米露も巻き込む世界的秩序に大変動を齎すに至っております。一方で、外交ミスを重ね、中国経済の退潮余波を受け、金融・経済危機を抱えてしまった韓国の大統領弾劾騒動が勃発、その政治空白を機として、北朝鮮は南北統一を図るのが目的なのか、それとも外交軽視から中国の支援を失い、経済的にも行きづまった金正恩独裁政権が、米国との対話を求めてか、ミサイル発射を繰り返し、政敵とも恐れた実兄を暗殺するなど、半島の脅威と恐怖政治が止まず、我が国近隣にまで、世界秩序破壊の予兆が押し寄せています。この世界秩序崩壊状態を称して「グローバル化の終焉(しゅうえん)」とか「反グローバル思想の台頭」などと言い募る(いいつのる)輩(やから)が多いようですが、それは自然現象と政治外交・通商文化交流戦略の違いを看過(かんか)した単なる用語の誤解にすぎません。通信交通の発達が自動的に生み出す「グローバル化(世界の画一化)」に対し、戦略的な対策は「インター...
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第六十九話:「PTAが世界の潮流を変えられるのか」 : プーチン(P)・トランプ(T)・安倍(A)

型破りな米国大統領の登場と就任後の矢継ぎ早の大統領令頻発で、米国の大手リベラル系メディア(九割以上がヒラリー支持だった)が発信源となり、これを受けた海外の多くのマスコミ報道が、中でもリベラル支配のカナダのメディアなどは、反トランプ騒動を日夜垂れ流しております。確かに“公約実現のアッピール”を急ぎ、支持者に応えようとしたものの、あまりにも過激な物言いと、政治外交的な煮詰めが欠けているとみられる、唐突な「イスラム7か国入国制限」のような発令には疑問を抱かざるを得ません。アメリカの大統領には、ホンの一部だけの行政権が委託されておるようですが、「国防上、核のボタンを押すこと」以外に無謀な独裁専制は許されない筈で、最高裁や議会がブレーキをかけられる仕組みになっています。いずれにせよ、政治経験皆無の実業人が初めて大統領に選ばれてしまい、当人が猛獣のように吠えまくり、MSM(メインストリーム・メディア=主流メデイア)に噛みつくという米国の現実とその苦悩を解決するには、ペンス副大統領他の側近・閣僚と上下院議員の中から、“猛獣使い”が早く出てくることが期待されます。 80年代、レーガンが大統領になった時...
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第六十八話:「節分・豆撒きと雛祭り・桃の節句、そして花見の桜」

節分は立春(旧暦の正月元日)の前日(つまり大晦日)のことで、「鬼は外、福は内」と豆を撒くのは、冬から春への季節の変わり目に“寒気・邪気・疫病・災難の象徴である角の生えた鬼”は外へ追い払い、“春の来福”を招き入れる、という宮廷の行事でしたが、室町時代以降は民間に定着しました。豆はアジア大陸では聖なる穀物とされてきたものでした。節分や灰をならしてしづごころ  小保田万太郎 三月三日の雛祭りは、女の子の居る家庭では雛人形を飾り、白酒・菱餅・ハマグリの吸い物・ちらし寿司・菜の花のおひたし等を頂く行事で、江戸代以降一般に定着したようです。この日は上巳の節句で、桃林に住むという女神の誕生日にあたるので「桃の節句」と呼び、桃の花を浮かせた酒を飲むと百病を除くという事と併せ、女児の祭りとなったのです。雛祭る都はづれや桃の月  蕪村明日知らぬ雛の栄耀やけふの桃  支考 ところで、サトウハチロー作詞で著名な昭和唱歌に「うれしいひなまつり」がありますが、この歌詞には二つの間違いがあります。まず二番に「お内裏様とお雛様、二人並んですまし顔・・・」とありますが、元々天皇と皇后を表徴する雛人形二体=男雛と女雛をま...
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第六十六話:国際政治の地殻変動・本音優先のビジネス思考

ブッシュ前政権の中東戦略ミスを“変える“と口先だけは勇ましく登場したオバマ政権でしたが、この8年間における“建前主義外交”の失敗続きから、アメリカ一極支配の世界が崩れ始め、中東の混迷を一層悪化・複雑化させる一方で、NATOの弱体化がロシアのウクライナ東部占拠を許し、ひいては中国の南シナ海進出や北朝鮮の核実験頻発などアジアにまで、国際紛争の火種を広げ、こうした問題解決に全く機能出来ない国連の無力化も相まって、今や世界は乱気流の時代へ突入してしまったようです。そんな中で、流石のアメリカが、オバマ建前主義政治を後継せんとしたクリントンではなく、過激な発言の是非はともかく、基本的には“本音のビジネス思考によるアメリカ第一主義”を直訴したトランプを次期大統領に選んだことで、一挙に国際政治の地殻変動が加速されました。これまで、米国の思惑を気にかけず、思い切った言動をとって来た“強権政治リーダーたち”即ち、習金平、プーチン、金正恩らが、このところ「来春のトランプ政権誕生に向けた模様眺め」と「本音の折衝待ち」を決め込んでか、トランプとの直談判への期待感からか、音なしの構えに転じたようです。 筆者が思う...
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第六十五話:「酉の市は洒落尽くし」

霜月ともなりますと、年末へ向けてだんだん忙しくなってきます。子供の居る家庭ともなると11月15日の七五三が明治以降広く全国・全階層に広がりました。氏神様へ参詣し、三歳男女児は髪置、五歳男児は袴着、七歳女児は帯解の祝いを執り行います。 適齢の子供や孫の有無にかかわらず、宮参りに前後して正月を迎える準備のための「酉の市」がやってまいります。毎年11月の酉の日(年によって2~3回)があり、順に「一の酉」「二の酉」「三の酉」と呼ばれて、「市」とか「町」「お酉様」など語源を共通する「祭り」であり、江戸近郊地域の農漁村と町の人々が品物を持ち寄る交流の場として発祥したようです。農村からは、農具である熊手や里芋の一種である八つ頭、ほうき、むしろ等の日用品が、町からは、煙草入れ、衣類やかんざし等の製造・細工物が持ち込まれ、そうした「市」は正月支度の為の買い物に格好の場所として寺社の境内が活用されました。やがて神社の祭神と結びつき「武運長久を祈る祭り」の側面を持つようになり、平和が続く江戸中期には「開運招福」「商売繁盛」という性格の祭りと成り、市は益々盛大になって行きました。 酉の市は、今も関東中心の寺社...