節分は立春(旧暦の正月元日)の前日(つまり大晦日)のことで、
「鬼は外、福は内」と豆を撒くのは、冬から春への季節の変わり目に
“寒気・邪気・疫病・災難の象徴である角の生えた鬼”は外へ追い払い、
“春の来福”を招き入れる、という宮廷の行事でしたが、室町時代以降は民間に定着しました。
豆はアジア大陸では聖なる穀物とされてきたものでした。
節分や灰をならしてしづごころ 小保田万太郎
三月三日の雛祭りは、女の子の居る家庭では雛人形を飾り、
白酒・菱餅・ハマグリの吸い物・ちらし寿司・菜の花のおひたし等を頂く行事で、
江戸代以降一般に定着したようです。
この日は上巳の節句で、桃林に住むという女神の誕生日にあたるので「桃の節句」と呼び、
桃の花を浮かせた酒を飲むと百病を除くという事と併せ、女児の祭りとなったのです。
雛祭る都はづれや桃の月 蕪村
明日知らぬ雛の栄耀やけふの桃 支考
ところで、サトウハチロー作詞で著名な昭和唱歌に「うれしいひなまつり」がありますが、
この歌詞には二つの間違いがあります。まず二番に「お内裏様とお雛様、
二人並んですまし顔・・・」とありますが、元々天皇と皇后を表徴する
雛人形二体=男雛と女雛をまとめて一対を“お内裏様”と呼ぶのが正しいので、
ハチロー歌詞のように男雛をお内裏様、女雛をお雛様と分けて言うのは間違いです。
次に三番に「・・・少し白酒めされたか、あかいお顔の右大臣」とあるのは、
”左大臣”の誤りです。
ハチローの勘違いで、向かって右の人形を右大臣と書いてしまった訳ですが、
天皇側から見て左側に控えているので、これは左大臣が正しいのです。
このように、平安時代の宮中の仕来りが、特に昭和以降、関東や東北には正しく伝わらなかったので、
向かって右(とか左)と、逆に捕らえる間違いが多いようです。
因みに「左近の桜、右近の橘」に関しても、南面する天皇から見て左方(東側)が桜で、
右方(西側)が橘というのが正解ですが、向かって右の桜、左の橘と、逆にいう人が多いようです。
春といえば桜の開花、その花見の風習は、古代貴人の桜狩りの宴に始まり、
中世は武家の遊楽の場となり、江戸時代には庶民の行楽行事として定着しました。
古来、桜は花の王として、菊と併せ日本の「国花」とされています。
元々桜は「さ=田の神、くら=神座」で、その咲き方で豊凶の予兆を占う
古い信仰に由来したもので、貴族、武家、商人、農民を問わず、春の社会的行事の一環となり、
デザイン化された花ビラが海軍の徽章となり、花弁のガクが陸軍の星のような徽章にもなって、
兵舎や各地に桜の名所がつられたりしました。
たらちねの花見の留守や時計見る 正岡子規