■大量生産・大量消費→有限・閉塞
20世紀までは、世界がある程度無限に拡大してゆくといった考え方を前提として、環境負荷に気を留めることもなく、大量生産、大量消費社会が先進的とされてきました。ところが、21世紀を迎える寸前あたりから、新興国や発展途上国もが、この路線を踏襲した結果、世界にモノがあふれはじめ、環境破壊が問題化し、今や世界には早急に取り組むべき課題が山積し、地球の有限性が実感されるようになっております。米欧日・先進国全体が活力を失い、国民も閉塞感と不安感に押しつぶされそうな雲行きを呈し始めているのです。
そこで、次の世代の社会像を提示・実行することで、同じ課題に遭遇する世界各国に対して、新たなる先進性を具象化することこそ、日本が取るべき道であり、またそのチャンスはかなり大きいと考えます。
■日本に豊富にある「都市鉱山」資源
人工物を大量生産して、先進国から新興国へ、新興国から発展途上国へと無限に普及拡大する発展モデルを脱し、「世界は有限」の想定下でさらなる有効需要を創造してゆくという転換を図るためには、工業化社会が生み出した負の側面をどう克服するかにかかっているといえます。
中でも重要な分野としては、第一にエネルギー・環境問題の改善、第二に新旧産業における雇用転換と労働力確保、人口・食糧・医療問題、適正な所得配分、そして第三に産業経営と文化の再構築が挙げられます。それらを解決しながら社会繁栄を達成するには、科学技術の進展と教育訓練強化がカギを握っていると思います。
まずは金属や化石燃料の有限性や急激な価格の高騰にいかに対処するかという課題です。現在の使用効率のままでは、21世紀中葉には今現在の3倍のエネルギーが必要になると予測されていますが、これに対しては、すでに使用された資源を再利用するという側面と、エネルギー消費量を徹底して効率化し、伸びを抑えるという2つの側面があります。
例えば廃棄される電気製品や自動車には、必要な資源がほとんど含まれています。そうした「都市鉱山」は日本に豊富にあり、そこには、金なら世界の現有埋蔵量の16%、銀なら22%、ほかにも10%以上の希少金属が存在しており、日本企業の技術で採取再生が可能なのだそうです。日本の資源リサイクル技術をもってすれば、自給率7割達成も可能といわれ、すでに世界に先行しているようですから、経済的合理性は極めて高く、ベンチャー企業参入機会もますます増えそうです。
また、エネルギー消費量削減に関しても、LED電球、太陽電池、自動車燃費効率など、日本メーカーの技術は群を抜いており、大きな強みと考えるべきでしょう。
■少子・高齢化を逆手にとる
一方、少子化・高齢化という先進国共通の課題がありますが、いずれ教育普及、医療の進歩、所得向上が世界の国々へと波及すれば、全世界共通の現象になると推測され、ここでも日本が先陣をきって問題解決のモデルを示す良い機会であります。日本は平均寿命が男女とも世界一なのですから、元気な高齢者が大きな役割を果たす社会実現によって、夢と希望の長寿大国の実現を図るべきなのです。
生理医学の進歩で最近判ってきたのは、人間の能力のうち、年齢とともに劣化するのは、運動能力や短期無作為の記憶力などに限られるということだといいます。言語や理性、知性、問題解決や判断力など智恵の蓄積がモノをいう能力に関しては、70歳ぐらいまで右肩上がりに向上し、死の2年ほど前まで、高水準が維持されるようです。
しかも、70~80代高齢者のうち、心身とも健康な方の比率は実に80%もいて、これもデータ的に世界一だそうです。つまり高齢者こそ、社会的人的資源として捉えるべきでしょう。
雇用の2段階システムを計画し、第1次定年を仮に55~60歳とするなら、第2次雇用の定年を75~80歳とし、元気な高齢者たちが、その各分野に跨る経験智を生かせるような、教育コンサルティング分野とかサービス事業分野など、割安賃金で再就職(雇用創出)ができるようにすることが考えられます。
その間の給与に応じて、健保や租税負担に加え、年金支給を差し引きすれば、社会保障費の国家と若年層の負担分が半減できるそうですし、税収増などによって経済にプラスの影響まで及ぼすことにもなるのです。
高齢者が「もらう側」から「与える側」に移行することは、国や地方自治体、各種団体、教育・研究機関や企業の負担をへらし、地域活性化まで〝一石四鳥〟効果も期待できそうです。
■ニュータイプの「日本型経営」を
さらに、日本の生理医学、電子工学の先端技術は、筑波大のHALロボットスーツ(脳波をセンサーで捉え、老齢者の手足の不自由も解消してくれるので、重労働も可能に)、人工関節、アルツハイマー予防薬、同治療薬製造技術からiPS細胞技術…と、世界の最先端をリードしているのも心強い限りです。
西欧キリスト教文化では「労働は神が人類に与えた罪」として比較的早めの引退が通例ですが、「神々が不死身で田を耕し、糸をつむぐなどで働き続け、人々に語りかける」という神話の国・日本の文化には、労働を「美徳」とする伝統があります。長寿シルバー社会をゴールデンイノベーション国家に変身させ、世界の先端を走り、モデルを指し示すべきではないでしょうか。
これまで「日本型経営」というと、すでに過去の遺物となってしまった終身雇用・年功序列をいまだに懐古してみたり、モノ造りは強いがサービスは弱い、やれ水平分業だ、垂直統合だ…といった単なる分類指向や、ためにする誤った議論が多く展開されてきました。しかしこれからは、優れた企業に当てはまる本質的なロジックを探して戦略を練ることが必要になってくると考えます。つまり、会社に寄りかかる「就社や社畜」でなく、「全員経営、総力戦」が可能なシステムで、他国他と「差別化」しているかが問われることになるでしょう。
グローバル化したデジタル社会には、欧米や他のアジア諸国に共通する有限世界を分捕りする文化よりも、日本的な無限に広がる空間や情報を主観的な美意識で客観視したり(茶道・華道・能など)、二次元と三次元を区別しない文化(プリクラや動画サイト・アニメなど)の方が、はるかに相性が良さそうです。ここに日本が21世紀の世界を変えてゆく可能性と強みが潜んでいると信じます。