2014年1月の日本経済新聞「私の履歴書」は指揮者の小沢征爾さん。
紹介された若いころの生活から日本の社会構造の特殊性が垣間見える。
履歴書ではまだ紹介されていないが、小沢征爾さんが日本で話題となったのは
NHK交響楽団との軋轢が最後。
青いかもしれないが才能あふれる若者。
当時、数多くの有力文化人が若者に嫉妬し反発する古い体質のNHK楽団に怒り
「小沢征爾の音楽を聞く会」を結成したが、NHKが改まるはずもない。
その後しばらくして征爾さんは日本での活動と縁を切った。
心の豊かさが欠如してしまった日本社会はいまに至るも国際社会になじめず孤立を招いている。
産業経済第一、「銭ゲバ」一筋で復興を成し遂げたかもしれないが、代償はあまりに大きい。
日本を出た征爾さんが国際社会で多くの人に愛され続けた、変わらぬその本質を紹介したい。
「日本人がんばれ:第二十一話:2008/11/20」
自民党が老衰して、国民の関心は民主党に移っている。
ところが民主党に投票したいが、小沢一郎さんが首相になることには賛成できない、
という人が多い。今度の衆院選はこのあたりが興味深い。
小沢さんを好きになれない国民の大部分は、多分、彼が自民党幹事長の時のことを
覚えているのだろう。2世議員ということもあり、若くして自民党の要職を歴任していた小沢さん。
尊大で無礼な振る舞いが多かった。
国民が覚えているのは、老齢ながら首相候補となった宮沢喜一さんを、
幹事長面接と称して党本部に呼び出したときのこと。
大きな年齢差のある先輩に対する彼の横柄な対応。
テレビで見た国民の誰もが不快な印象を受けたはず。
「天は人の上に人を作らず」。
小沢氏の卒業した慶応義塾大学には亡くなった福沢諭吉氏を除いて先生と呼ぶ人がいない。
福沢氏は「学問のすすめ」で、学問が無ければ不平等が生ずると説いているが、
同時に知識人の心構えも説いている。
知識人たるものは国内であれ、海外であれ、全ての人に対等に接する心がなければならない。
海外で活躍する小沢征爾さん。
同じ小沢姓でも月とスッポン。
まさに国際人の小沢征爾と島国人の小沢一郎と呼ぶにふさわしい。
今年(2008年)はめでたくも文化勲章を受章したが、もっと早くもらって良い人だ。
彼は東京都世田谷区成城に住居を持つ。
かなりまえの話だが、小沢氏が帰国して、同じく成城に住む夫人(ベラ・イリーン)の友人宅で
同窓会が開かれた時のこと。
夫人は横浜のサンモール・インターナショナルスクールの出身者。
多国籍の卒業生ともなれば、クラス会にはヨーロッパ、アメリカなどからの参加者も多い。
暗くなった成城学園周辺は個々の邸宅が探し難い。
駅へ到着した海外の同級生から電話がかかるたびに、率先して迎えに行くのは
勝手を知っている小沢さん。
ホスト、ホステスは来客のもてなしが忙しいからだ。
迎えから帰れば来客全てとの会話を楽しみ、また迎えに出る。
徒歩だから時間がかかる。何度繰り返しただろうか。少なくとも3回以上。
驚いたのはお開きが近くなった深夜。
参加者たちは新しい同期生名簿を作ったが、全員がコピーを欲しがる。
まだ家庭用の簡易コピヤーが普及していない時代。
小沢さんはペーパーを持つなり自転車を借りてセブンイレブンに向かった。
人数分のコピーを抱えて帰った小沢さん。
ごく普通の人の良いおじさんという、気さくな感じ。
世界の聴衆を魅了する指揮者の顔ではない。
しかしながら、これだから、「世界の小沢」なのだろう。
人を見下すような尊大さでは、世界で愛される国際人になれない。
付け焼刃の庶民性で乗り切ろうとする麻生首相。
民主党の小沢さんと共に見習ってもらいたい。
しらす・さぶろう