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湘南文化よもやま話:湘南を愛した人々

元祖湘南人「沢田美喜さん」とエリザベス・サンダース・ホーム

沢田美喜さんの祖父が購入した六義園(東京都駒込)。
徳川五代将軍・徳川綱吉の側用人・柳沢吉保が購入し下屋敷として使用したといわれる。

湘南文化を語るときに沢田美喜さん(1901-1980)を忘れてはならない。
太平洋戦争後(1945年終戦)湘南を世界に知らしめたのが、彼女が
創設した混血孤児養育施設のエリザベス・サンダース・ホーム。
1948年から亡くなるまでの30数年間だけでも1.400名を超える園児を養育した。
創立からすでに65年を超えた現在も100名弱が在園しているが、
その創立の経緯、彼女の人生を知る人は湘南でさえ少なくなった。

 

1.エリザベス・サンダース・ホーム とは

エリザベス・サンダース・ホームは太平洋戦争後に進駐連合軍の兵士と日本人女性の間に
生まれた子らの保育施設。
神奈川県大磯駅前の海を見晴らす小山に立地する。
単一民族に近い日本での混血孤児養育は日本人孤児と扱いを変えなければならない。
親を戦争で失った日本人孤児があふれていた時代に次々に生まれ、捨てられる混血孤児。
混血孤児たちの母親も戦争の犠牲者。
生活が困窮した若い女性に説教する資格は誰にも無い。
国や進駐連合軍が頬かむりしていた混血孤児の救済は誰かがやらねばならなかったが
手を挙げたのが、終戦時に44才だった沢田美喜さん。
父親は三菱グループ創設者初代弥太郎の長男岩崎久弥氏。
国際人、湘南人であり、キリスト教への深い信仰を持つ若い沢田さんでなければ
成し得なかった困難な事業だったといえよう。

政財界と強い繋がりを持つ彼女でも、当時は孤軍奮闘となる厳しい経済的環境。
無かったのはお金ばかりではない。
政治や行政には連合軍兵士と日本女性の問題解決に努力する「心」も無かった。
パフォーマンスやポーズはあっても、弱者に無関心なのは、豊かになった今でも同じ。
想像を絶する努力だったろう。

 

2.沢田美喜さんを感銘させた英国人の孤児救済

彼女は30才の頃に夫(沢田廉三元国連大使)と共に英国に駐在。
混血孤児救済活動のヒントはロンドン・コーズウェイの
ドクター・バナードス・ホーム(Dr Barnardo’s Homes:1870創設)といわれる。
トーマス・バナード(Thomas John Barnardo :1845-1905)はアイルランド人の医師.
若いころ、コレラの流行で多くの子供が受難しているのを見て立ち上がったのが
はじまり。
英国全土に100か所以上の施設を広げ、生涯で8000人を超える児童を世話したといわれる。
施設運営は1970年代に廃止されたが、救済資金集めは全土で続けられ、現在までに
数十万人以上の「困窮する児童とその家族」が恩恵を受けているという。

 

3.思想の原点となったのはキリスト教

彼女は社会奉仕に熱心な欧米人にいたく感化されていたという。
正義感の強い彼女は社会に存在する格差と不平等に疑問を持ってもいた。
多くの欧米人が持つ思想の原点はキリスト教の伝統的な教えの一つ、「無償の愛」。
キリスト教を勉強し続けていた彼女の思想の原点でもある。
ところが、多くの人々は「財閥令嬢だから出来ること」と他人事。
財閥令嬢は彼女ばかりではない。
お金持ちだから成し得たという評価は空しいが、一つだけ当たっている。
それは、お金に不自由ない青春時代だったからこそ、「お金で買えないもの、
お金以上に大事なもの」が、いかに多いかを知っていたこと。
まさに「湘南人」の元祖と呼ぶにふさわしい。

 

東京都台東区池之端一丁目の岩崎本邸は1896年(明治29年)に沢田美喜さんの父、
岩崎久弥によって建てられた洋館。
設計は鹿鳴館の設計が有名なジョサイア・コンドル(Josiah Conder1852 – 1920
明治政府に招へいされ、西洋建築を伝えた。
政府関係の仕事後は三菱合資の顧問となり、丸の内開発を始め、多くの建築を指導。
現在の東京大学で建築を教えたが、生徒には東京駅を設計した辰野金吾らがいる。

 

 

4.幼少の頃の沢田美喜さん

沢田美喜さんは幼い頃より活発な人だった。
上野不忍池に近い高台の岩崎家本邸は3万坪を超えるとも
いわれたほど広大(現存は都の公園となり5000坪程度)。
三菱合資会社理事子弟たちの遊び場所だったという。
明治34年生まれの長女美喜さんはそのリーダー的存在(ボス?)。
長男の彦弥太、妹の澄子(甘露寺)、綾子(福沢)さんたちを従えて
遊びグループのホステス役を見事にこなしていたという。
栴檀(せんだん)は双葉より芳し。
強さとリーダーシップ、行動力は誰にも負けない。
そんな性格だからこそ、1400人もの孤児のママとなることが出来た。
1922年に沢田廉三氏(1888年‐1970年)と結婚。4人の子供に恵まれる。

 

 

5.困難を極めたサンダース・ホームの資金集め

昭和20年代の戦争直後は新円切り替え、資産凍結、富裕税などがあり、
個人も法人も、明日の食料手当てが困難な時代。
お金が無いばかりでなく企業や資産家は寄付にアレルギーに等しい抵抗も
あったそうだ。
寄付者の納税優遇に消極的な旧大蔵省。財政に主導権をとりたい思惑もあったろう。
生活費を切り詰めても困窮者を助けるのは昔も今も庶民ばかり。

澤田さんは理解してくれる米国人の寄付を頼りにした。
ホーム創立資金は沢田さんや友人に残された僅かな個人資産と
イギリス系宗教法人の寄付。
エリザベス・サンダースの由来は、最初に遺産を贈った聖公会英人信者の姓名。
日本に在住し日本で亡くなった女性。
多額ではないが沢田さんには金額の多寡以上の感銘があったろう。

当時、運転資金調達に沢田さんが頼りにしたのは、海外以外では
三菱グループ企業の有力者たち。
父親である岩崎久弥氏(元、グループの総帥)を良く知る部下は
大半が公職追放を受けて会社にはいなかったが、
財閥解体後の役員には親身にお世話した人が多かった。
ただし、頻繁に役員室を訪れる彼女を疎んじた者も少なくなかったから
彼女の苦労は察するに余りある。
経済誌、総会屋と同列に考える担当者もいたという。
誰にとっても資金集めほどいやな仕事は無いだろう。。

当時の政府、行政、企業は女性、子供など弱者に受難が集中する戦争の本質を
もっともっと真剣に理解すべきだった。
混血孤児救済はアメリカや三菱グループだけの問題ではない。
近隣では資産家の首相が広大な庭の海を見晴らすサンルームで
一本3-5千円(コヒバ、ダビドフの現在価格)の高級葉巻をくゆらしていた。
公私にそれなりの援助をした話は聞こえていない。
孫の代になっても弱者に優しい政治が期待できないわけだ。

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