沖止め船の検疫(雑学その1)
昭和初めに季語のない新興俳句を主導した俳人、日野草城(ひの・そうじょう)に 「月明や沖にかゝれるコレラ船(せん)」がある。
これも無季かと思えばさにあらず、船内で感染者が出て沖止めされた船―
「コレラ船」が夏の季語である
▲季節の風物とみるのもどうかと思うが、昔はコレラによる船舶の沖止めがひんぱんにあったようだ。
年配の方なら、1960年代のエルトール型コレラの流行により日本の港で内外の船が
何隻か沖止めされた騒ぎを覚えておられよう
▲感染症による船の沖止めとしては、それ以来の騒ぎだろう。
乗員乗客数なんと3711人、横浜港大黒ふ頭沖に停泊している豪華クルーズ船で
新型コロナウイルスの感染者10人が見つかったという。
感染者は陸上の病院に搬送された
▲香港で下船した乗客の1人が感染者と判明していたこの船である。
厚生労働省は残りの乗客も14日程度は船内にとどまってもらうという。
楽しい船旅の空間が一転、洋上の隔離施設に変わった乗客の方々にはなんともお気の毒だ
▲大人数の乗客が船内の暮らしを共にする巨大クルーズ船は、今までに何度かノロウイルスの
集団感染の舞台となってきた。
船会社も感染症対策には神経をとがらせてはいたろうが、新型ウイルスの不意打ちには
打つ手がなかったか
▲船内で何千人もの検疫を行った検疫当局にも不意打ちは同じだろう。
人が大量移動する観光立国の時代が、感染症のアウトブレーク(突発的拡大)の時代と
表裏一体なのを改めて肝(きも)に銘(めい)じるべきだろう。
沖止め船の検疫(雑学その2)
英語で、検疫のことを、クァランティン(Quarntine)と言いますが、その語源は、
イタリア語の Quarantena(40日間の意味)に由来します。
中世の海洋国家ベネチアは、万国の貿易船が入れ代わり立ち代わり港を混雑させていましたが、
14世紀に欧州で大流行したペストの感染を防止する為、ベネチア国政庁が、
“全船を40日間沖に停泊させ”、全乗組員の病人発生皆無の船のみを入港させ、
積み下ろしを認可したことが語源となりました。
詰まり、これが検疫の起源となりますが、日本へは南蛮貿易時に伝わり、
伝染病予防ノウハウを会得した江戸時代にはアジアでは唯一の国家でした。
中国、朝鮮半島などでは、赤痢、疫痢、コレラの大流行で大量死を防げなかったのを、
日清戦争勝利後中国へ、朝鮮と台湾併合時に、両国へこれを徹底したため、
彼等の衛生観念が大きく改善されました。ところが、このことを、未だに感謝して、
子々孫々に伝え、日本の先進性を賛美してくれるのは、台湾だけで、
中韓朝は、感謝のかの字も口にしません。この辺に、血のご縁(ハプロ分析では、
日本+台湾 d系、中朝C系と区分けされる)に由来するのでしょうか。