地溝油スキャンダル(gutter oil scandal)解決は中国人の食文化に
深く関わるだけに難しい課題.
アジア食への信頼を失墜させた現状を少しでも回復するには関係各国の
監督官庁と食品産業経営者たちの合同協議が最善.
日本企業も悪の根源となった頂新グループ企業に深くかかわっており、
他人事として見過ごすことはできません。
問題解決とアジアの食の安全確保には各国間の横のつながりを作る
強いリーダーシップが求められるでしょう。
リーダー候補として最適と思われる救世主が台湾モスバーガーの黄茂雄さん。
日本、米国、台湾政財界に太いパイプを持ち、台日親善大使の役割をも
果たしてきた黄茂雄氏とは?
1.地溝油は中国人食文化の一部?
中国人にとって使用済み油を捨てることは「もったいない」。
漉(こ)したり、改良して使える限り何度でも、というのは食文化の
一部なのでしょう。
日本人でも使用済み油を1-2回で捨てる人は稀。
天麩羅、フライの1回分が100円から150円位の安価な混合油を
再利用するのですから、中国人が再生油を使用する習慣を持つこと
は不思議ではありません。
ドブからの廃油(gutter oil )まで再生するという極端さが騒動になるのであって
中国人低所得層の認識としては捨てられた廃油を再生使用するのは
当たり前のことかもしれません(現在は中国でも廃溝油は禁止)。
再生廃油が中国大陸や台湾の家庭や屋台、大衆食堂で使用されている時は
話題にもならなかったのでしょう。
しかしながら廃油が与えるトランス脂肪酸、過酸化脂質、毒性添加物の
健康被害(肥満、高血圧、動脈硬化、発癌など)の大きさは計り知れません。
2.汚染の実態が不明朗な日本の加工食品業界
調理や加工食品製造に欠かせない食用油脂供給が頂新グループ企業の
独占に近かったために、台湾の食品産業は広い範囲で被害を受けていますが
既報のとおり政変後の2014年12月になると官憲の動きも早くなり、急速に
汚染の全貌が明らかになりつつあります。
反面、日本では不二製油が東証で簡単な現状報告(2014年10月20日)をしたのみ。
加工食品の、どの範囲にまで影響があるのか皆目わかりません。
2014年11月7日の厚生労働省医薬食品局による食安輸発1107 第1号.は
頂新グループ企業の3社に加え北海油脂股?有限公司の
油脂類輸入留保を各地の検疫所長に伝えています。
これまでの実績で輸入される恐れがあるからでしょう。
頂新グループ企業への投資、技術供与では外国勢で最大の関与をしていた
日本企業。
台湾で汚染の実態が暴露された今、日本の消費者が知りたいのは、
台湾油脂の日本市場汚染度の真相。
頂新グループ企業を最大限に評価していた伊藤忠グループをはじめ
関係していた日本の大手商社、油脂製造会社などの声は
小さすぎて聞こえてきません。
3.素早い対応を見せた台湾モスバーガー(安心食品服務股?有限公司)
中国、ベトナム、香港、日本など、アジア食品産業の信用が壊滅的に
損なわれた現状を台湾の為政者、経済界はどのように回復していくの
でしょうか?
その回答をしてくれる数少ない企業が、対応の早かった大手ファーストフードの
台湾モスバーガーチェーン。
日本のモスバーガー(モスフードサービス:MFS)は米国スタイルですが、
1972年に櫻田 慧氏(故人)により創立された純粋な日本企業。
照り焼きバーガーのヒットでフランチャイジー中心に1,412店を運営する
日本では数少ない成功した米国型ファーストフードチェーンです。
台湾モスバーガーは1990年に日本のモスフードサービス(MFS)と
台湾の大手電機メーカー東元電機(TECO)の合弁会社
安心食品服務(股)として設立されました。
モスバーガーは台湾で展開される外食チェーン店でマックについでの大手。
現在は237店を直営しています。
モスフードサービスの海外店は8か国で総計325店。
圧倒的に台湾に多いのが解ります。
台湾モスバーガーチェーンは2014年9月には、頂新グループ企業製造油脂の
使用実態を明らかにするとともに、即座に該当油脂使用を全廃。
消費者に返金を実行するとともに、ソースを自家製にするなど以後の安全な
代替油脂使用方法を明示。
過去、現在、これからの全段階を解りやすく解説しました。
なぜこのチェーンがこれほどの素早い対応を見せたのか。
そこには日本で教育を受け、日本のモスバーガーとの提携を主導した
東元電機(TECO)の黄茂雄元会長(Theodore M. H. Huang)の存在があります。
東元電機の要職にありながら当時は水商売といわれ高学歴の人々に
敬遠されていた飲食業に関心を持っていたのが黄茂雄さん。
すでに台北繁華街に和食店(寿司など)、カフェを経営していて、
親しい人との打ち合わせがその店ということもしばしば。
「職業に貴賤なし」を実践していました。
4.台湾モスバーガーの黄茂雄会長とは
黄茂雄さん(こうしげお:Theodore M. H. Huang.)は2003年に
産業団体連合会(the Chairman of the Chinese National Association of Industry.:
中華民國工商協進会)会長に選任された財界の長老。
ルーツは福建省出身者が多い外省人といわれますが
このコラムは経済人としての黄茂雄さんを紹介することであって
ルーツやァミリーなどの個人情報を公開することが目的ではありません。
台湾は世界大戦後の中国内乱で1949年に来島した蒋介石総統、蒋経国総統に
支配され、外省人の国民党による独裁と戒厳令の時代が続きました。
その時代を生きてきた黄茂雄さん。
日本の士官学校を卒業し日本の要人に太いパイプを持つ蒋介石総統はもともと親日。
連合国の戦後処理案に日本の賠償を放棄した逸話はいまでも語り草ですが
1972年の田中角栄内閣による親中国、台湾との断交は
蜜月だった日台関係を急速に悪化させました。
犬猿となった日台政府に挟まれた黄茂雄さんの苦労は並ではなかったでしょう。
蒋経国総統の後継として登場した李登輝総統(客家、本省人といわれる)は
旧弊を打破し、新しい台湾を目指し、それなりの成果もありましたが、
隠れ民進党、独立推進派と言われていたにかかわらず、在任中は
保守国民党、親中国派を尊重しながらの政治。
馬英九総統(外省人)に近々引導を渡すであろう2014年11月末政変までの
台湾経済人の苦労は想像を絶します。
60年代から90年代の台湾産業界は日産の技術で生産した蒋介石夫人宋美齢の
自動車産業独占など少数の国民党関係者による利権独占が続いていました。
利権のおこぼれを狙う本省人、外省人、台湾人、日本人、米国人、中国人。
当然のように収賄、贈賄が横行します
そんな渦中に活躍したのが日米の政財界、そして台湾李登輝政権に
太いパイプを持った財界人の?茂雄さん。
その人柄と調整能力はまさに台湾が必要としていたものでした。
5.黄茂雄.さんと慶応義塾の思想
「天は人の上に人を作らず」
「人類皆平等」、「職業に貴賤なし」を実践する黄さん思想のルーツは
彼が留学した慶応義塾高校の教育思想。
誰とでも穏やかに接し、人の世話に精一杯の努力をする。
誰もに公平に接するために、誰もが自分だけにと勘違いしてしまう。
(日本の政治家に多いようですが)わずかな交際期間に関わらず
彼の親友になったと錯覚を起こさせるのが自然に備わった特技。
慶応義塾高校生の頃の黄茂雄さんは眼の大きい知的な青年。
大柄で声が大きく、自信あふれる行動。
同じ台湾系同級生で卒業後、建築設計家となった葉祥栄(ようしょうえい)さん
(日本生まれの三世)とともにクラスでの存在感は抜群。
授業で一緒になった学生で二人を知らぬ同級生はいないでしょう。
大学は共に慶應義塾大学経済学部。
多感な青春時代を過ごした日本への愛着と母国台湾への愛国心。
そのオーラの強さは在学中から抜きんでていました。
専攻は異なりますが1962年卒業後に米国大学へ留学したのも葉祥栄さんと同じ。
(京大卒の李登輝元総統は一回り以上年長ですが同時期に米国留学をしていました)
黄茂雄さんの行動と発言をトレースすると高校生の頃からアジア民族に
誇りを持ち、台湾と日本の架け橋になるという志があったと思わざるを得ません。
母校を愛する黄茂雄さんは慶応義塾の評議員を引き受けています。
6.東元電機の急成長期を支えた黄茂雄会長
黄茂雄さんは1960年代後半に米国留学から日本に帰国(?)すると
東元電機に所属。
日本橋で父親が経営する貿易商社(三協と呼ばれていた?)に
しばしば駐在していました。
この商社は黄家と姻戚関係にある東元電機の部品、工作機械などを
日本で買い付ける購買業務と東元電機のアンテナショップや支店の
役割。
1956年創業の東元電機はモーター生産からスタートしていましたが
60年代後半には、すでに台北にモーターと家電の本社工場がありました。
当時の台湾は人口が今より1,000万人近く少ない小国。
東元電機も日本の家電メーカーからみれば中小企業でしたが
60年から70年代の高度成長期に小企業から大企業へ急成長を遂げ
1973年に上場企業(TECO Electric & Machinery Co. Ltd.)となります。
1972年に役員となった黄さんは高度成長期の台湾経済とともに
急成長する東元電機を支え、2007年まで会長職に在りました。
現在は長男の黄育仁氏がボード入り。
茂雄氏も取締役として相談役となっています。
70年代の台湾の電気、電機関係産業は米国資本と技術が圧倒的な時代。
アメリカはすでにIC、LSIのマイクロエレクトロニクス時代に入っていましたから
アジアに家電の生産拠点を置くようになっていました。
電機ではフィルコフォード、アールシーエー、モトローラ、ジェネラルエレクトリック、
ウェスチングハウス、ワールプールなどが活躍。
負けじと進出を図る日本勢はコロンビア、ビクターなど音響機器メーカー、
東芝、三洋などの電機メーカー、ホンダ、ヤマハなどのバイクメーカー。
競って提携会社を探して合弁事業を始めた頃です。
このころ黄茂雄さんに世話になった日本企業は数えきれないでしょう。
日本、米国、台湾を良く知り、良好な関係を永続きさせたい黄茂雄さんは、
台湾企業と外資の提携、合弁に平等主義を貫くことを主張。
当時の東元電機と東芝の提携は必ずしも順調にみえませんでしたが、
規模が違い過ぎてたのでしょう。
対等、平等は規模とは関係のない思想問題。
この考えがいまでも彼の関係した様々な合弁事業が成功している秘訣。
どちらが何パーセントの株式を保持し、役員が何人という法的なことのみに
執心し、事業を成功させるための肝心な信頼関係が薄れている
国際間の提携や合弁。
地溝油スキャンダルからの脱出は台日の食品産業に深くかかわり、
渦中の人でもある? 茂雄さんしか出来ないでしょう。
茂雄さんは監督官庁に食品加工企業が安心して加工できる
台湾食材の安全性確保に全力を挙げるよう要望していますが
自ら関係者を率いて解決していくことが切望されます。