1. 松岡豊博士らがScience誌に新論文を発表
国立精神・神経医療研究センター室長兼国立病院機構災害医療センター精神科の
松岡豊博士が2017年9月のScience誌(Translational Psychiatry部門)に
長野県南佐久郡で続けられていた「魚介類・n-3不飽和脂肪酸摂取とうつ病との関連」の
コホート調査成果(大規模な疫学的調査)を発表しました。
松岡豊博士が2011年10月に第107回日本精神神経学会で発表された論文
「オメガ3脂肪酸(EPA/DHA)により*PTSDの精神的苦痛が緩和される可能性」
はロハスケがすでにご紹介しています。
交通事故により心的外傷後ストレス障害を発症した患者に魚油のオメガ3カプセルを投与。
12週間観察することにより、マーカーとなる血清中の*BDNF値が次第に上昇することを
確認したものです。
*PTSD:心的外傷後ストレス障害
*BDNF:Brain-derived neurotrophic factor(脳由来神経栄養因子)
バーゼル大学(スイス:University of Basel)の
アレン博士(Dr. Yves-Alain Barde) が1982年ブタの脳から生成したペプチド。
心的外傷後ストレス障害により減少することが知られています。
*内因性カンナビノイド(endocannabinoid)
カンナビノイドはマリファナ活性成分類似体の総称で、大麻の学名(Cannabis sativa)に由来。
カンナビノイドの中枢神経を刺激する幻覚、興奮成分は類似物質が
人体にあることが知られており、それを内因性カンナビノイドと呼びます。
2. 松岡豊博士のプロフィールとその思想
松岡豊博士(1968年~)は1993年 東京慈恵会医科大学卒業.
専門はリエゾン精神医学、心身医学、臨床疫学、精神栄養学.
社会と健康研究センター(国立がん研究センター ) 健康支援研究部長(精神腫瘍科 兼任)
疫学、コホート調査など予防研究グループの主要メンバー
博士自身の説明による、その思想をご紹介すると
「私たちは、いろいろな生活習慣と、がん・脳卒中・心筋梗塞などの病気との
関係を明らかにし、日本人の生活習慣病予防と
健康寿命の延伸に役立てるための研究を行っています」
「身体疾患を抱える人の精神的苦痛の病態解明とその克服。
そして、病める人を作らないような画期的な予防法の確立。
また、世界に通じる臨床研究を実践できる研究者を育成することに使命感を持っています」
博士の思想の原点は卒業された慈恵医大の創設者である高木兼寛海軍軍医総監だそうです。
富裕層しか受益者とならない癌治療新薬の開発に熱中する医学者。
そのトレンドと対極にある「疫学研究による予防医学」に傾注されているのが納得できます。
3.天然オメガ3は鬱(うつ)に効果があるか:2017年に発表されたコホート調査の方法
2017年9月のScience誌に松岡豊博士らが発表したコホート調査(大規模な疫学的調査)
による研究は、国立がん研究センターの博士の部署を中心に精神腫瘍科など
いくつかの他部門と、慶応大学、富山大学などの研究グループの協力よって続けられました。
(以下は松岡博士の解説より引用)
メタアナリシス*をしてみると海外のn-3系脂肪酸(オメガ3脂肪酸)研究では
魚介類の摂取量が比較的多い日本人のデータがわずかしか含まれておらず、
また、精神科医によるうつ病診断が厳密に行われた研究も含まれていませんでした。
そこで、私たちは、日本人における魚介類・n-3系脂肪酸摂取(オメガ3脂肪酸)と精神科医により
診断されたうつ病との関連を調べました。
テーマは「Dietary fish, n-3 polyunsaturated fatty acid consumption,
and depression risk in Japan: a population-based prospective cohort study」
「魚介類・n-3不飽和脂肪酸摂取とうつ病との関連」
調査対象地域は平成2年(1990年)から長野県佐久保健所管内の南佐久郡8町村。
調査対象は1990年時点の40~59歳の居住者約1万2千人のうち、
平成26-27年(2014-15年)に行った「こころの検診」に参加した1,181人。
その追跡調査にもとづいて、魚介類・n-3不飽和脂肪酸(オメガ3脂肪酸)摂取と
うつ病との関連を調べた結果がScience誌に発表されたものです。
4.長野県南佐久郡のコホート(cohort study)調査の成果
調査では対象者をn-3系脂肪酸(オメガ3脂肪酸)の摂取量で4つのグループに分け、
最も摂取量が少ないグループに比べた時の、その他のグループでのうつ病のリスクを調べました。
n-3系脂肪酸はエイコサペンタエン酸/ドコサヘキサエン酸/α-リノレイン酸/ドコサペンタエン酸の
4種類に分けてそれぞれの有効度を調査しました。
1日に57g(中央値)魚介類を食べるグループと比較して、1日に111g(中央値)魚介類を
食べるグループでうつ病リスクの低下がみられました。
同様にn-3系脂肪酸摂取とうつ病との関連では、エイコサペンタエン酸(EPA)を
1日に200mg(中央値)摂取するグループと比較して、1日307mg(中央値)摂取するグループ、
また、ドコサペンタエン酸(DPA)を1日に67mg(中央値)摂取するグループと比較して、
1日123mg(中央値)摂取するグループでうつ病リスクの低下がみられました。
「こころの検診」に参加した1,181人のうち、95人が精神科医によってうつ病と診断されました
(この項は松岡博士の解説より引用)
*調査の対象としたのは幅広い種類の魚介類の加工食品、干物、焼き魚、刺身など。
*100㌘の魚は小型の鯵(アジ)や中型の鰯(イワシ)2匹ぐらいの頭、骨を除いた可食部分.
5.有効性は脂肪酸バランス改善が決め手
オメガ3系(EPA/DHA)多価不飽和脂肪酸(Polyunsaturated fatty acids:PUFA)に
鬱病(うつ)防止などの精神安定効果があることはかねてより、多数の研究報告があります。
オメガ3脂肪酸(EPA/DHA)が精神的行動異常をコントロールする
メカニズムに関して2011年1月にフランス国立衛生医学研究所(INSERM:ボルドー)の
ラフォルカデ(Lafourcade)博士らが、オメガ3欠乏食を与えたマウスによって
内因性カンナビノイド(endocannabinoid:eCB)がシナプス近傍で局所的に蓄積することを
確認しています
ただし、近代食は青魚などのオメガ3摂食が減じ、リノール酸食用油を
使用する加工食品が溢れて脂肪酸摂取バランスが大きく崩れています。
オメガ3とオメガ6の比率が1:1の伝統食が、最近では多くが1:15近くまでの
バランスとなっていますが、これによりオメガ3の機能が損なわれ、内因カンナビノイド(endocannabinoid:eCB)の神経コントロール機能を阻害していると
ラフォルカデ博士らは指摘しています。
(ラフォルカデ博士の研究については第1項のリンク参照)。
6.摂取量の多少で成果が異なる不思議
魚介類摂取量が多い人がある量以上を摂ると影響が見られなくなることがありました。
理由は不明ですが、魚介類摂取量が多い人は野菜摂取量が多く、
また、炒めて調理している傾向が強いことも報告されていることから、
n-6系不飽和脂肪酸(オメガ6脂肪酸:サラダ油に含まれ、炎症を惹起する)の摂取量が増えたことで、
n-3系脂肪酸(オメガ3脂肪酸)の予防的効果が打ち消されたのかもしれません。
n-3系脂肪酸のなかで、エイコサペンタエン酸(EPA)のうつ病に対する有効性は
複数の研究で報告されていましたが、*ドコサペンタエン酸(docosapentaenoic acid:DPA)については
ほとんど知られていませんでした。
*ドコサペンタエン酸(DPA):EPA からDHAへ変換される時の中間体。
ドコサペンタエン酸(DPA)がもつ、炎症防御作用を介して、うつ病予防効果を発揮したのかもしれません。
今回の検討から魚介類・n-3系脂肪酸摂取とうつ病には、とればとるほどリスクが下がる、
というような関連ではなく、ある量でリスクが下がり、それ以上とると影響がみられなくなることが
示されました。
中年期の魚介類・n-3系脂肪酸摂取が精神科医による高齢期のうつ病診断と
関連していたというのは世界初の結果であり、魚摂取と精神科医による診断ではないうつ病との
関連をまとめた*メタアナリシスの結果を支持するものでした。
ある量以上をとると影響が見られなくなる理由は不明ですが、
魚介類摂取量が多い人は野菜摂取量が多く、また、炒めて調理している傾向が強いことも
報告されていることから、n-6系不飽和脂肪酸(サラダ油に含まれ、炎症を惹起する)の
摂取量が増えたことで、n-3系脂肪酸の予防的効果が打ち消されたのかもしれません
(この項は松岡博士の解説より引用)
*メタアナリシス:数多くの同類研究論文を比較分析して成果の方向性を探る研究手法。
7. 有用性の結果がでなかったα-リノレイン酸
2017年の松岡博士の調査研究ではn-3系脂肪酸を
エイコサペンタエン(EPA) /ドコサヘキサエン酸(DHA)/α-リノレイン酸(ALA)
/ドコサペンタエン酸(DPA)の4種類に分けて有効度を調査しています。
かねてより植物性のα-リノレイン酸の有効度は非常に低いといわれてきましたが
この調査でも最も結果がでないオメガ3脂肪酸でした。
植物性のオメガ3脂肪酸はα-リノレイン酸(Alpha-linolenic acid:ALA)として
チア・シード(シソ科植物の種)、フラックスオイル(亜麻仁油)、
しそ油、 ごま油、胡桃油等に含まれます。
体内ではDPA/EPAに変化しますが、変換率が10-15%と少ないために、
オメガ3脂肪酸としての有用性が疑問視されてきました。
8 . DHA(ドコサヘキサエン酸)とEPA(エイコサペンタエン酸)の違い
EPA (eicosapentaenoic acid)とDHA(docosahexaenoic acid)は
近似種類で体内ではEPA からDHAがつくられます
(DHAからEPA のケースも あります)。
この区別は炭素の二重結合の全体数が異なることで区別され
双方ともに血液を凝固させにくくさせる作用があります。
EPAは血 液の流れを改善し、血液の粘度をさげて心筋など血管内の血栓を防ぐ作用、
DHAは脳内血流のスムースな循環や、過労や加齢による 視力の低下を防ぐ作用が
注目されていますが、その区分けには未明部分が多く、これからの解明が必要です。
高脂血防止の医薬品はEPAが99%ですが、発売から15年くらい。
年月が浅く、体内でEPA /DHA双方の機能が発揮できるかは未明でしょう。
9.コホート調査 (cohort study)の限界
松岡博士はコホート調査の様々な限界にも触れています。
コホート調査は聞き取りやアンケートで調査が進められます。
調査対象者の能力差が激しいために、個々の報告は必ずしも正確ではありません。
しかしながら数万人規模の調査では不正確な報告の排除、淘汰によって大きな流れは
把握でき、現状では有力な調査方法です。
安全性の確認についても動物実験で判断するよりはるかに信頼性があります。
本州中央山村地帯の佐久郡では、鮮度の良い魚介類を食べていない人も多いことが
推測されますから、結果的に食するオメガ3脂肪酸のトランス脂肪酸、過酸化脂質変化が
影響されるのではとも思われます。
また、対象者の脂肪酸バランスが、どのくらいバラついているかの精査も必要でしょう。
これらをどこまで把握できるかが、調査精度のレベルを左右するでしょう。
精度を上げるために対象者に簡易的PC端末を貸与したり、「医療関係者」「女性看護師グループ」を
対象にした数万人規模の疫学調査が永年続いている国もあります。