■断続的かつ革命的に変化する定説
科学哲学者トーマス・クーンが唱えた「パラダイムシフト」とは「科学の歴史は累積的なものではなく、断続的に革命的に変化し、その時代や分野において支配的規範となるモノの見方や定説が大きく転換すること」を意味した用語で、元来は科学史上の概念でした。
それがやがて、社会経済やビジネスなどに登場した「イノベーション」という言葉をはじめ、概念の拡大活用が常態化し、ハイエクやフリードマンの自由経済主義か、ケインズの裁量経済主義といった政策論議から、小さな政府を保守するのか、社会主義的な大きな政府による革新政治かと言った体制論にまで及んできました。アラブ世界での国家体制の変転劇や、イスラム宗教における原理主義と世俗主義・修正主義の抗争とか、文化芸術面における古典派か現代派かに至るまで、政治・経済社会・宗教文化のあらゆる分野に拡散してしまった感があります。
ここ数十年のアメリカ大統領をみても、アメリカにおける昔日のマイノリティーが今やマジョリティーに変わっていることがわかります。永らく続いてきた「男性のWASP(ホワイト・アングロ・サクソン・プロテスタント)で初婚妻帯者しか大統領になれない」という神話は、まずアイリッシュでカトリック教徒のケネディが選ばれて止みました。離婚経験者でも大統領になれるのは、フォードやレーガンが実証しました。白人大統領独占史を塗り替えたのはオバマでした。そのうち、ヒスパニック系や女性大統領も出現するでしょう。まさにアメリカ政治史におけるパラダイムシフトが起こっているのです。
■一握りの富裕層と?億超の貧困層 世界最貧国レベルの中国
中国の政治体制にも変化が見え隠れしています。確かに、高度経済成長がGDPを世界第2位に押し上げ、国民1人当たりの年間平均所得が5000ドルを超えて世界ランキング100位内の中位に納まってはいます。しかしその実態は、上位 <約1億5千万人> の富裕層に所得が寡占され、10億人を超える貧困所帯が年収2千ドル以下という世界最貧国レベルに留まっているというのが現実で、世界最大規模の所得格差を生んでしまったようなのです。<経済成長を成し遂げた胡錦濤政権は、共青団修正主義派に支えられ政府主導で「和階社会」(格差是正策)に取り組んできましたが、これに代わった習金平政権は、国家主権主義と対外覇権主義に奔走するか、対内的には汚職の摘発で単なる人気取りに走るだけで、経済の地盤沈下と、貧民対策に打つ手が見られません。習主席は、15~22歳の間、農村部へ下放されていて勉強してない「学力コンプレックス」と25年間の地方省長時代の業績が芳しくなかった「実務コンプレックス」と言う二重の劣等感から、絶対的カリスマの毛沢東帰りを主唱することで存在感を訴え、軍を味方にしてはいますが、経済悪化と内外政治外交の躓きが目立ってきたようです。> <目下、日本へ”爆買い”旅行に押し寄せている中国人は、既述の所得上位一割の富裕層のみであって、国民所得倍増を成し遂げた日本の中間所得層のOLやサラリーマン層が、観光とブランド商品の”爆買い”に欧米へ旅をしたのとは、雲泥の違いがあることからも、彼我の政経、格差問題が理解できましょう。>
欧州のソブリン危機も、ユーロ通貨圏維持とEU体制のどちらを維持強化するかで、ユーロは南北間の対立を、EUは英蘭対独仏の対立を引き起こしております。大きな政府による財政健全化、富の再分配、社会民主主義と、小さな政府によるサッチャーリズム的保守経済革命、すなわちサプライサイド経済やマネタリズムにもとづく市場経済主義とのいずれにくみするのか、パラダイム論争がかまびすしくなってきています。
20世紀終盤になって、民主主義対国家社会主義と自由経済対共産経済という明確なパラダイム区分が一挙に消え去り、21世紀はあらゆる意味での、政経パラダイムシフトが、あざなえる縄のような複眼思考を求められる現実と化したようです。
■ビジネス世界の〝混血化〟< サラダからスープへ>
小売りという市場一つを眺望してみると、今アメリカの三大小売業は、ウォルマート、コストコと、アマゾンです。20世紀中盤までには影も形もなかった業態が一挙に躍り出てきて、不可逆性のある未来を先取りしてしまっている常態です。
<続いて出現したのが、マイクロソフト、グーグル、フェイスブックの三大IT産業で、いずれもが、瞬時に世界を席巻したことも、特筆に値するパラダイムシフトでしょう。>
製造業においても、これまで主流だった垂直分業(いわゆる日本的な系列グループ化)とは全く異質な水平分業、しかも国外に広がるボーダーレス分業が、<アップルに代表される個電・家電や、ユニクロのようなアパレルSPA産業>などを中心に存在感を強めております。これも、<SCMと言う統合的生産・物流管理システムの普及を齎した>IT産業が起爆剤となってのパラダイムシフトと考えられます。
また、BPOという「外部業務委託」も国内からオフショアに広がりつつあるようです。企業のアニマルスピリットと言いますか、「血気」が、ビジネスプロセスを左右する時代へと突入したようです。
ビジネス世界の〝混血化〟は、国際化時代のような、<それぞれ国ごと・企業ごとの特徴をとどめたまま”サラダボウル的”な展開を図る手法>が通用しなくなり、国籍不明の大企業が世界の技術や経営ノウハウを共有し、<ルツボの中で個々の素材が痕跡をとどめず、溶解したスープ>のようなものへと進化してしまったのです。
それは、ビジネス理念を転換させてしまいます。<嘗てシャープが唱えた「高性能な良い物は必ず売れる」を過去の哲理とし、ホンハイやサムスンの言う「売れるものが良い物」という現代の正論に置き換わってしまったのです。<5~6年も前のこと>シャープの堺工場生産ラインが3割の操業に苦しんでいたとき、ホンハイが製造技術ノウハウを持つ少数精鋭と50人の営業の先鋭隊を送り込むや僅か3カ月で、歩留まりを100%近くまで改善し、コストダウンを図り、アメリカのビジオ社や同業のソニーなどへの売り込みに成功した結果、何と9割稼働を達成してしまった<当時の早業には驚愕させられたものでした>。<ところが、それさえも、即座にサムソンに覆され、今やそのサムソンもが、中国+台湾勢によって競争力を無くしつつあるというのですから、まさに超高速のシフトゲームが常態化しているのです。>
■パラダイムシフトへの対応は国家の責任
デフレ経済下とインフレ経済下では、産業セクターごとのパフォーマンスは真逆となり、総じて前者の場合、社会的公共性の高い業種(海運、倉庫、素材産業など)が<何とか現状維持する>のに対し、後者では、消費関連の内需型の産業(サービス、情報・通信、金融、小売りなど)が活気付くケースが比較的多くなるようです。
アメリカの歴代政権の場合、基本的にはレーガンやクリントンに代表されるような、レバレッジを効かせた、低レベルのインフレをターゲットする古典的自由主義的経済政策が一般的で、世界恐慌時のF・ルーズベルトによるニューディール政策やリーマンショック後のオバマ政府主導によるディレバレッジを狙った社会民主主義的政策などは極めて例外的な施策です。
ところで、<ユーロ問題なり、中露経済低迷が先進国をはじめ、世界経済に>伝染して、ひいては日本の危機を呼ぶといった〝ためにする悲観論〟が一部にありますが、大国アメリカに比べ、ユーロや中国経済はしょせん、富の規模と蓄積レベルが太陽と月ほど甚大な差があるので、おのおのの微小経済セグメントごとに限定的な固有の振幅はあっても、世界恐慌といった悲劇に至る恐れは少ないと考えられます。
ただ、<〝世界の経済機関車であり、嘗て警察国家を務めてきたアメリカ〟ですが、<オバマ政権が、警察国家放棄宣言し、中東政策にことごとく失策を繰り返しISILテロに手を焼く最悪の事態を生み、原油価格下落でサウジアラビアとの微妙な関係に陥っており、ウクライナ問題ではロシアとの外交に苦悩する一方で、アジアでは中国と北朝鮮によるゴリ押し外交に歯止めをかけられるのか、とか軍事的暴発を傍観するのか、といった多くの難題が、内外の気がかりであろうかと思われます>。グローバル資本主義が世界を覆う中で、国家間や各国内での経済格差や環境・食糧問題を正し、パラダイムシフトをスムーズに起こしていけるのは、国家の役割の他にあり得ないのです。
かような世界情勢にあって、日本はどう立ち回るべきか。かつて明治維新のときに「和魂洋才」で西洋列強に立ち向かったように、グローバル化した現代国際社会では「和魂外才」が問われるのかもしれません。